よちの飼ってたチビの話し
チビは、死んだのですか。
空き函に捨てられ、引き取り手のいなかったその猫を。
なぜか猫嫌いなボクが飼うはめになったのは二十歳のことです。
当時ペットの飼えないマンションに住んでいたボクは、胸ポケットにしまえるほどの子猫を、
原チャリで自宅に連れて帰りました。
一週間ほどボクの部屋でかくまわれた子猫は、主人の留守中、脱ぎ捨てたジーンズの下から、
ミャーと可愛く鳴いたところを、不法侵入の現行犯で母親につかまりました。
ただチビで愛くるしいことだけが取り柄の野良猫は、
ただチビで愛くるしいという最大の取り柄のおかげで、
不法侵入は黙認となり、我が家の同居が決まりました。
もう12年も前のことです。
その日以来チビは、その恩を返さんとばかりに、離れゆく息子どもに代わり、
老夫婦の相手を片時も押しまずしてくれました。
白黒のぶちと短い黒の尻尾がチャーミングだったチビは、
やがてチビではなく、ただのホルスタインでした。
けれど父母は乳牛をチビーチビーと猫なで声で可愛がりました。
チビは父の仕事先が変わるごと、東京で3回、札幌で2回の引越しも
家族としてついて行ってくれ、終の棲家となった
小さな札幌の家で、昨日死んだのでした。
札幌は音もなく雪が降り続く寒い日でした。
チビの右頬に発病した腫瘍は、いわゆる癌でした。
一年をかけて大きくなり、膿をともなって終には破裂したその癌に、飼い猫はあまりに無抵抗でした。
最後の2週間は、もはや鳴くことも、食べることも、生きることから逃げることも許されず、
野良出身のプライドの高い猫でしたから、無念だったはずです。
力尽きるわが身を人目から避けることすらできず、死んでゆきました。
ボクは同情しました。チビのことを思うと、同情して泣きました。
最期。
それまで微動だにしなかったチビは、大きく伸びをし、その目に涙をウルウルと溜め、そしてヴッと小さくうなりました。
母は最期を悟り、ガンバッタモンネ、ガンバッタモンネと体をさすりながら泣きました。
チビの体はもはや鶏がらでした。
父は往生ダ、往生ダとため息をつき、ボクの一歳の娘にも笑顔が消えました。
うなった後は、砂時計の静かな終わりを見ているようでした。
父は白い半紙を八枚糊で張り合わせた封筒のようなものをこさえ、これはチビの死に装束だと言いました。
そしてチビを封筒に入れ、すでに作っておいた棺おけに収めました。
母はチビは花が好きだからと、棺に花を添えました。
けれど、動転していたのでしょう。
彼女が用意した有り合わせの花は、冷蔵庫の中の野菜でした。
健康的な緑が、白い半紙の上に悲しいほど鮮やかでした。
余命三ヶ月と獣医に言われ、一年も生きたチビは、なぜこの日に逝ったのかしら。
いつだって選べたのに、なぜボクの訪問を待ってチビは死んだのかしら。
野菜の下のチビは、泣いているのかしら、笑っているのかしら。
もうペットはイヤ。だって死ぬんだもの。
と言いながら、母はチビの餌を、すべてポリ袋に捨てました。
チビは、死んじゃったのですね。








