こんにちは!MAMEHICOのトモです。
最近、ある小説を読み始めました。灰谷健次郎著「太陽の子」です。
まだまだ序盤なのですが、終戦30年後の、神戸の街と人間模様が描かれており。
私の知らない、「街の姿」が描かれており。
一頁、一頁、めくるたびになんだか泣きそうになってしまいます…笑
(大げさなようですが、わりと、ほんとです。笑)
ほんの一部ですが、ここで紹介します。
=======================
神戸の中心が三宮付近に移ってから、新開地はさびれる一方なのだったが、浜側のこのあたりは、そういうこと関係なく、働く人びとの熱気でいつもむんむんしていた。
市場の筋が切れると、そこにお稲荷さんがあった。赤い鳥居が幾重にも建っているところなど、いかにも下町の風情だった。
そこから南は、露地が格子もように通っている。つきあたりは港である。港には小さな造船所、船具店、倉庫などが目白押しに並んでいた。海はおびただしいはしけ、タグボートの類で埋まってしまっていた。
露地にかこまれた家々は戦災に遭っていなかったので、昔ながらの軒のひくい、ところどころ白壁などの残っているいまどきめずらしい家が多く、古びて、いまにもくずれそうなところは、両隣で支え合っている。つまり、おおかたは長屋なのであった。
長屋には人が住んでいるだけでなく、小さな鉄工所や鋳物工場、製缶工場、また、真鍮だけをけずったり切断したりする工場とも店ともつかないような所、ワイヤロープを専門にあつかっている店などがあって、ここにはお化粧のしようのないもう一つのミナト神戸の顔があった。
ふうちゃんは、カーンカーンという鉄を打つ音でいつも目をさました。ずっと昔から、ものごころつくころからそうだった。ちょっと甲高い、けれどよく澄んだその音は、目覚まし時計のかわりになった。それを合図にして、つぎつぎと雑多な音の洪水になる。そこかで機械の回る音がすると、その音を追うようにして、また次の音がきこえてくる。なにかのはじけるような音は電気溶接棒がつよい電気で溶ける音で、その音をきくと、ろくさんまた早出やなァと、ふうちゃんは思うのである。
遠くの方で犬の唸るような低い音がきこえてくると、それはゴロちゃんが運転するクレーンの動きはじめた音である。ゴロちゃんは一日中、地上から数十メートル離れた箱の中にいて鉄をつかんだりはなしたり、あきることがないようにみえた。ひがな一日、あんな小さな箱の中にいてたいくつせえへんかなァ……。
・・・・・・
ふうちゃんは寝床の中でそんなことを反すうしながら、なにかぬくい気持ちになってごそごそと起き出すのであった。
=======================
この街のどこに、誰が住んでいるのか。
その人はどんな人で、何をしているのか。
朝から夜まで働いて。
夜になると、みんなふうちゃんのお母さんがやっている小料理屋に集まる。
お酒を飲みながら、故郷を懐かしんで、歌ったり。大笑いしたり、喧嘩をしたり…。
子ども(ふうちゃん)の面倒は、みんなでみる。
ふうちゃんも、大人の中に混じって、店の手伝いをする。
あぁ、「街」って、こういうものなのか。
「店」って、こういうものだよね。と、、、。
いちいち、胸が苦しくなります。
=======================
小説を読んでいたら、港町を歩きたくなって、お休みの日に、横浜を散歩しました。
ちいさいとき、お父さんがよく連れて行ってくれた店が、中華街の路地にあります。
木と漆喰で作られた、掘っ立て小屋のような、小さい店。
雑なパイプテーブルとパイプ椅子に、黄ばんだふりふりの座布団。
知らないおじさんちのリビングに、なぜか迷い込んでしまったような気分。
運ばれる料理は、どれも、ぶわっと湯気が立ちのぼって。
薄味で、でも勢いのある、上海の家庭料理。
懐かしくなって、入ってみたのですが、もう先代が引退され。
一度閉店した後、新しいオーナーが引き継いでいるようでした。
玄関に吊るしてあった、赤い中国のお守りもなくなっていて。
その代わり「中国の大人気グルメ 上海蟹」という、、、、
いかにも、商業的な、赤と黄色の派手なのぼりが、風に揺れていました。
店には小さな小窓があって、
前は、おばさんが顔を出して、手作りの油条を販売していました。
その窓から油条を買うのが好きだった。
だけど、その窓も閉鎖されて、今はただの物置になっていました。
新しいお姉さんが「オショウガツモ、モチロンアイテマス。カンコウキャク、タクサンクルカラネ。ヨヤク、インスタノ、DMニオクッテ。ツイッターモ、ヤッテルヨ」と、お客に喋っている。
う~ん。なんか、違う店になってしまった。
=======================
なんとなく、寂しい気持ちになりながら、もう一軒、懐かしい店の前を通ってみました。
なんというか、、、
こちらも「店」ではなく「商品」になってしまった感じがしました。
調べてみると、さっきの店と同じく。
先代が引退し、閉店した後に、同じ名前でオープンしているようなのでした。
この店には、うるさいおばさんがいました。
「チュウモンハ、イッカイシカデキナイヨ!!!!」と、お客を煽ってくる。
本当にうるくて、子どもの私には怖かったけど。なんか、可笑しかった。
おばさんの陰口を耳打ちしながら、ケタケタと笑って。お父さんと一緒に、真っ黒い豚足にかぶりつきました。
店の正面には、「70周年」という黄金色の看板が、電飾で光っている。
70年店を支えた、あのおばさん(今は、きっと、おばぁさん)はもういないのに。
この電飾は、なんかちょっと嘘つきだ。
とても、悲しくなってしまった。
どこの街を歩いても、
「店主の高齢化や諸般の事情により、閉店させていただきました。」という、白い張り紙を見かける。調べてみると、だいだいが戦後すぐに始めたような店ばかり。
気概を持って商売をしていた人たちが、
どこの街からも、消えていっている。
ちいさなところから、確実に。
カタカタと、時代が変わっていっている。
カタカタカタカタ、、、と。
向こうのほうから、ドミノ倒しが始まっている。
同じ店のように見えても、
中身はすり替わってしまっている。
みんな、気づかないのかな…。
自分の目の前の一枚が倒れるまで、気づかないのかな…。。。
どこかで、たぶん、一気に景色がかわってしまう。
なにもかも取り上げられてしまったとき、
そのときに、焦らないように。
美味しいおやつとお茶でも飲みながら。
みなで、よく、考えなくてはなりませぬ。