渡りたいのか、落ちたくないのか。

こんにちは!
MAMEHICO のトモです。

銀座店がプレオープンして、1週間ちょっとが経ちました。

オープン日というのは、
「自分たちで決めるもの」なので、「間に合って当たり前」なんだと思っていました。

だけど、いざやってみると。なかなか、なかなか、ほんと〜に、大変ですね。
本当にたくさんの人の力を借りて、ものすごいエネルギーで推し進めて、それでもやっとこさっとこ。。。

当たり前が、当たり前に進む、というのは。。。。。
本当に、「当たり前のことではない」んだなぁぁぁぁ。。。と、ここ最近グサグサきております。

はぁぁ〜。
私たち(平成に育った若い世代)は、
生きること、人生を歩むことを、楽に考えすぎている。

もっと、単純だと思っていました。。。。

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マメヒコのスタッフに、2000年生まれの女の子がいます。

「わたしは石橋を叩いて、叩いて、叩きまくってから渡る性格です。なんでも、ミスがないように、と思っています。
慎重になりすぎて、仕事が遅くなってしまいます。みんなには、仕事が遅いことを怒られます…。どうしたらいいんでしょう。」と、彼女は涙目で、私に相談してきました。

でも、彼女の仕事を見ていると、
今にも落っこちてきそうなところに、ガラスの器を置いていたり。
不安定な場所に、炊いたばかりの黒豆が、置いてあったり。。。
これが、果たして、慎重な人のすることだろうか…。。。

本人の言っていることとやっていることが、どうも乖離している。

わたしにも、こういう時期はあった。だから、待つしかない。
わかっていても、悶々としてくる。

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ある日、彼女に聞いてみた。

「あなたがいつも何かにビビっていて、失敗を恐れる性格なのは知っているの。
でも、石橋を叩きまくってからしか渡らないような人が、こんな高くて不安定なところに、ガラスの器を置くかな。」

すると、

「いつも、“いけるかな”と、思ってやっちゃうんです。」と、彼女がボソリ、と言う。

「石橋は、叩いてからしか、渡りたくないです。絶対失敗しないところを、歩きたいです。
だけど、私、叩くのも面倒臭いので、自分で叩いて、確認をしたことがないんです。
というか、どうやって叩いて、どうやって確認するのかが、まるでわからない。
だから、なんとなく“この橋は落ちないだろう、行けるだろう”と。
そういうことにして、これまで、渡ってきてしまいました。」

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なるほど。

きっと、彼女がこれまで渡ってきた橋は
鉄筋やコンクリートでできた立派な橋だったのでしょう。

それは、自分で確認することをサボっても、問題なく渡れたでしょう。
そして、“渡りたい“という、強い意志を持たずとも、渡ってこれてしまった。

その経験から、“なんでも簡単だ“と思ってしまう。
スキルさえ身につければ、全てのことはうまくいく、と勘違いしてしまう。
だけど。そうじゃないことが沢山ある。

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「今まで、まるで舐めて生きてきてしまったけど、
これからは、自分の足で、歩きたいんです。」と、彼女は言う。

この先、彼女が渡ろうとしているのは、
いつロープが切れてもおかしくない、吊り橋なのかもしれない。

経験がなければ、自分を信じることができなければ、渡れない。
そして、“渡りたい“という強い意志のある人しか、渡ることのできない橋。

「あぁ、そうか。
あなたは、橋を“渡りたい!“のではなく、“落ちたくない!“んだね。

落ちた経験がない。落ちたら、どうしていいかわからない。だから、いつでもビビってる。
いつでもビビっているから、自分は慎重なんだ、と勘違いをしている。」

落ちたくない、と、渡りたい、はまるで違う。

何もかも先代が準備してくれて、
生きるのに不自由のない時代に生まれ育った私たちは、“なんでも簡単だ“と、勘違いしている。

つまづきようのない道を歩いただけで、
手放しに褒められてきてしまった。

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「友ちゃんへ

今朝、庭から部屋に戻り、リビングの掃除を始めたら。リビングの床の奥の方まで、光が届いているのに気づきました。
光が一番奥まで差し込む11月、一年で一番好きな光の季節が、もうすぐそこまで来ているんだなと思いました。 そうしたら、息が深く吸えました。

なんでも、自分の思い通りに出来てしまう時代になりましたが。思い通りに出来ることと息が深く吸えることは別のことだなぁ、と思います。

自然を知って、自然に合わせて生きればいいんだなと思うと、肩の力が抜ける感じがします。

自分の我儘に振り回されないで生きる道があるのかも。五感は神様がくれた導きなんだなと思います。 るる」

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いきなり、吊り橋は渡れないでしょう。

でも、まず、川の水に足をつけてみたり。
石の上をぴょんぴょんと飛んで渡ってみたりして。

自分の身体を使って、失敗と成功を繰り返し。
痛い目をみて、それでも立ち上がる経験を繰り返すことが、わたしたちには必要です。

さて、我々は、大きな自然を前に、深く息を吸って、
自分を信じて一歩踏み出すことができるでしょうか。

自信は、最短で、テクニックで、身につくものではないように思います。

 

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