メンバー紹介

MAMEHICOは株式会社MAMEHICOが運営するメンバーシップ制のイベントスペースです。

さまざまないきさつでMAMEHICOに携わることになった運営メンバーをご紹介します。

みなさん、ごきげんよう!
いかがお過ごしですか。
株式会社MAMEHICOの日野です。

株式会社MAMEHICOで、わたしは唯一カフエマメヒコのスタッフでもあります。
わたしは、とてつもなく飽きっぽい性格なのですが、マメヒコで働くこと(だけは、と言ってもいいくらい)は、ずーっと続いています。
それはなぜだろうと、ときおり考えるのですが、「楽しいから!」という、かなり単純明快な答えがいつも出てきます。笑
そう考えてみると、「楽しい!」って思えないと、なにもできないわたしなんだなっていうことに気づきました(改めて気づくことでもない)。
マメヒコのなにが楽しい!って、説明できないんだけど、とにかく楽しい!
だから、この「楽しい!」を、ほかの人とも共有したい!、そう思いながら、マメヒコを続けているんだなと、いま改めて感じています。

カフエマメヒコでの地道な活動が、株式会社MAMEHICOの立ち上げにつながっていることは確かです。
そして、メンバーに加わってくれたみんなは、その地道な活動のなかで、少しずつ、少しずつ、関係を作ってきた方々ばかり。
いままでのカフエマメヒコでは、楽しいと思いながらも、反面、同じような感覚の人が誰もいないなぁ、心細いなぁなんて思いながら、やっていたこともたくさんありました。
でも、いまは、同じように感じている、たくさんの(まだ少ない?笑)人たちが近くにいて、とってもとっても心強いんです。
みんな、個性豊かで、それぞれの得意不得意を、なんとなーく共有しながら、進んでいる。
言葉にせずとも、なにかが伝わっているような感覚があります。

誰もお友だちがいないなぁって思いながらやっていたわたしが(笑)、カフエマメヒコを通じて、同じような想いをもつ人たちっているんだと思えたことも、続けているひとつにある気がします。
カフエマメヒコで続けてきたことが、株式会社MAMEHICOとして、新たに始まること、とっても楽しみです。
hopefulな未来が待っているではないか!!と、いま、この立ち上げの瞬間、ワクワクが止まりません!
これから出逢うであろうあなたと、楽しい!と思える場所を作っていけたらと思います。

星野美津子と申します。

群馬県桐生市で生まれ育ち、1995年に結婚して以来、転勤族の夫とともに西は京都から東は千葉まで10カ所以上引越しました。今は子育ても夫育ても終わり自由な多拠点家族となって、私はまた桐生からちょくちょくマメヒコに通うようになりました。

カフエ マメヒコとの出会いは2008年。群馬から代々木上原の自然療法学校に通うため、朝ごはんをマメヒコ渋谷店でいただいたのが始まりでした。そのときの枝豆ポタージュの美味しさ、若い店長さんがはりきって働いていたのも印象的でした。枝豆は自分たちで北海道の畑で育てたものだと聞いて驚き、納得しました。

しばらくは井川さんのラジオを興味深く聞いたり、こちらもいろんなドラマがありました。2016年に自分自身が普通の主婦から自由すぎる主婦になり、そのタイミングでマメヒコのイベントに参加するようになりました。きっかけはセレンディピティと直感でした。

2020年のおわり、コロナをきっかけに際立ったマメヒコの存在と、井川さんの「いい社会にしたい」という発信に響き、いかひこ塾に入りました。連続ドラマの企画が立ち上がり、私はノッテビアンカのトシコ役になりました。カフエを基地にドラマのチームと濃密な1年を過ごし、ここは人間関係が楽で呼吸がしやすい場だと思いました。

そして2022年、この度、株式会社 MAMEHICO となって新たな取り組みが始まります。ここは、ただいるだけでいい場所。そして一緒に何かをする場所です。人と人は会わなくちゃ。と、私は思います。一緒に遊び、美味しく面白くあたたかい時間を共にしましょう。あなたに会えるのを楽しみにしています。

人が好きです。

人と話すのが好きです。
人と何かを作るのが好きです。
輪を作るのが好きです。

みんなでご飯を食べるのも好きです。

でも、ご飯そのものには関心がありません。
話せれば、何を食べてたっていいと思ってます。ファミレスでもファストフード店でもどこだっていいです。

そんな食に無関心のぼくが、なぜカフェを母体とするマメヒコに関わることになったのか。

きっかけは演劇でした。

井川監督作の演劇『ぽうく』に役者として参加したことがきっかけで、マメヒコに関わることになりました。

40歳すぎて観劇すらしたことのなかった自分が主役を演じるのは、難しく、とても刺激的な経験でした。

演劇が終わると、今度は連続ドラマに出演することになりました。『ノッテビアンカ』は、全員素人、カフェのスタッフやお客さんで作ったドラマです。

マメヒコの食に対する姿勢は、ドラマ製作にもそのまま現れていました。

食事シーン、まかない、おやつ。
あらゆる面で気配りがなされていました。
製作に関わっているうちに、ぼくの食に対する意識も変わってきました。

ファミレスやファストフードに行くことも、自然と少なくなりました。

お客さんとしてマメヒコに通ってはいませんでしたが、作品作りを通じてマメヒコの人たちと仲良くなりました。

マメヒコに行くようになりました。
足を運ぶと、顔見知りの店員さん、顔見知り客がいました。

マメヒコで友達と話したくなりました。
話す場所なんてどこでも良かったぼくは、いつしかマメヒコに友達を呼ぶようになりました。

不思議な感覚です。
学校でも実家でも親友の家でも秘密基地でもない。

ハレの家みたいな感覚です。
少しだけ身を正して帰る家。

ぼくにとってマメヒコは「一緒に」の場です。

一緒に食べ
一緒に作り
一緒に学び
一緒に遊ぶ

この度、新しくMAMEHICOとして「一緒に」の場を作ることになりました。

ぼくも「一緒に」の場を、みんなと「一緒に」作りたい!そう思って、ボードメンバーとして参加することにしました。

ぜひ一緒に作りましょう。
お会いできる日を楽しみにしています。

神奈川県川崎市在住。コンピュータ関連のエンジニアをしています。
最初は、積ん読になっている本をどうにかして読む場所として週末に利用していました。
もともと好奇心が強いこともあり、ときどき店内で主催されるイベントにひとつ、またひとつと
参加するうちに気づいたら、演劇、音楽、トーク、食べ物などいろんなイベントに参加するようになっていました。
2009年に出会ってから今に至るまでマメヒコは飽きることのない不思議な場所です。

ノッテビアンカのお話を聞いたときも、ドラマを撮るなんてことはきっと一生に一度しかないから
参加してみようという!軽い気持ちで音声さんに手を上げたのでした。

今は、個人が努力してもなかなか手が届かない完成度の高い便利なモノがあふれていると感じています。
でも、そればかりだと物事のしくみをきちんと学べずに表面的な便利さだけを知ることしかできなくて
終わってしまう。何か新しいことにチャレンジして上手くなろうとしたとき、上手すぎるものばかりだと
学ぶ意欲がなくなってしまわないでしょうか。
MAMEHICOが、個人が手を伸ばして届く、いろんな上手いものがたくさん届けられる場所になったら
いいなと思っています。

横田理恵子と申します。
名古屋で生まれ育ち、就職で上京し、都内で会社員をしています。

マメヒコを最初に知ったのがいつだったかは明確に覚えていませんが、20代の頃は職場も自宅も渋谷だったので、宇田川町店の前はよく通っていました。でも、コーヒーを飲まない私はいつもスルーしていて、しばらくして友達と一緒に入ったのが最初だったかな。まだ改装前でした。
それから朝ごはんを食べに公園通り店に行ったり、何度かお店に訪れたあと、味噌会が始まることを知りました。特に味噌や食に興味があったわけでもないけど、このマメヒコで何か始まるということにピンと来たのかもしれません。すぐに申し込みました。
最初に井川さんと話したのは2014年1月。味噌会の初回です。
たまたま井川さんの目の前に座って、塩の話を聞いて、白米と味噌汁をいただいて、すべてが衝撃的でした。あれが私のマメヒコでの原点になっています。
そこからマメクルやフィール大学、ゲーテ先生の音楽会、お芝居、エトワール・ヨシノ、遠足、連ドラなどなど、あらゆるイベントに参加し、作品に触れ、少しずついろんなお手伝いするようになっていったわけです。
2014年からは、北海道のハタケに通って豆やカボチャを栽培しました。
2019年には、毎月のように地方へ遠足に行きました。
2020年からはお弁当クラブの会員として、平日はほぼ毎日、お弁当を食べ続けました。
とにかく、マメヒコと、井川さんの生み出す作品が大好きなのです。
そして、ただ好きなだけではなく、自分が自分で在るために必要な関わりでもありました。

さて。
2022年。私はマメヒコのお客さんから、MAMEHICOの一員になりました。
さまざまなことを学び、会得し、失敗し、成長し、泣き、笑い、みんなと時間を重ねていきたい。
一人ではできないことを、仲間と一緒にやっていきたい。
その先に、少しでも良い社会を開きたい。
そう思って、ココにいます。
未来に何かを残せているように、頭と手足をフル回転で動かしていくので、みなさんもどうぞご一緒に。

小池律子と申します。
普段は都内にある会社で、事務員として働いています。

マメヒコとの関わりは、実家の近くにマメヒコを作った井川さんが設立に協力した「クルミドコーヒー」があり、母から「近所にはやっているカフェがあるらしいから一緒に行こう。」と誘われ、そこで私がマメヒコのショップカードを見つけ、後日なんとなくひとりでマメヒコにも行ってみたことがきっかけです。

出されるものがすべておいしいから、食いしん坊の私はマメヒコによく通うようになりました。そのうち顔を店員さんに覚えられて、マメヒコで開かれるイベントに誘われ、参加するようになりました。それでも私が人見知りなこともあり、マメヒコとの距離はそんなに近くなかったと思います。

距離がぐんと近づいたのは、コロナがきっかけでした。ある日マメヒコで井川さんを見かけて、「もしかしたら、この状況下で感じていることが似ているかも」と、お店のあり方や井川さんのラジオを通じて感じていたため、思い切って話しかけました。その日を境にお店やイベントのお手伝いをするようになり、いつの間にかマメヒコの周りにいる人たちで作った連続ドラマ「ノッテビアンカ」のスタッフにもなっていました。

そして今回また、これからみんなで作っていく株式会社MAMEHICOの会計という役割を拝命しました。マメヒコとの間には、何かと関わることになる流れがあり、こういうのがご縁というのかもしれません。

昔の私のように、株式会社MAMEHICOの醸し出す何かになんとなく惹かれた方。それ、もしかしたらご縁があるのかもしれません。ぜひ楽しい場所を一緒に作っていきましょう。

大阪で音楽教室を営んでいた私は、コロナの騒動で仕事がなくなり、これからどう生きたらいいのかわからず、長い間、一人でとぼとぼと、光のない世界を歩いているようでした。

そうすると、遠くでなにかチラチラするものを見つけました。すぐには分かりませんでしたが、何度も見るうちに、それは光だと分かりました。それはカフエマメヒコでした。そしてそこに集まる人々でした。

なぜすぐに分からなかったのかというと、今まで違うものを光だと信じて生きてきたからです。信じていた光はこの騒動で、いとも簡単に消えて無くなってしまいました。

マメヒコにかかわっているうちに、人にとって大切な光とはなにかを気付かせてもらいました。そして私はすっかり元気になりました。

そして同じく光を失って元気のなかった夫にも声をかけて、紆余曲折いろいろありながら、二人で元気にここで生きています。

このご時世、ほんまいろいろありますよね。もやもやしてるみなさんと出会い、同じご飯を食べ、一緒にものを作り、みんなでMAMEHICOという自由であたたかい居場所を創っていきたい!

あなたに出会えるその日を楽しみにしていまーす!