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銀座日曜会発起人より挨拶

 発起人 奥野晴信より

かつて銀座のファミリーレストランで定期的に集まっていた山田玲司、奥野晴信と、ドレスコーズ志磨遼平を中心とした「銀座水曜会」というサロンがありまして…。
その始まりは10年前。
奥野と志磨が30代になり、人生における一通りの出来事を経験してしまって、あとはそのバージョン違いの繰り返しになるのではないかという予感に対峙していた時期でした。
同じような環境で同じような人と付き合い続けていくと、このままでは新しい友達や、新しい考え方・感性が生まれなくなるのではないかという不安。
気がつけば人生は思いのほか長く、我々の好奇心は思ったよりすり減っていた。
このままでは魂の潤いが徐々に失われ、「人生」と戦い続けることはできないのではないか…?
そんな悩みを抱えていた頃、2人は天啓のように山田玲司に出会いました。
ある日、3人は朝までそのことについて語り明かしました。
結論に待っていたのはシンプルなことでした。
どんなジャンルであろうと俺たちと同じような危機感を持っている人がいるはずだ。
ならばそいつら集めてもっとごきげんに生きていこうぜ、友達増やそうぜってとこに、素直に導かれたのであります。
そして我々は最低限自分たちとコミュニケーションとコンセンサスが取れる人を集めて、20世紀前半のエコール・ド・パリと呼ばれた時代に爛熟したサロン文化の真似事を、または日本における「座」の復活を、やってみることにしました。
3人がそれぞれ出会った「おもしろいひと」を呼んでは「銀座」に集まり、時間が許す限り語り合うというこのサロンは、主に月1回どこかの「水曜日」に集まっていたので「銀座水曜会」としました。
「水曜会」という名前はかつて夏目漱石が「木曜会」というサロンを作っていたのにあやかってつけたもの。
明治・大正にはそういう文化サロンがいくつもあって、例えば石井柏亭、北原白秋らの「パンの会」は銀座のカフェー・プランタンに集まり、かの今村紫紅や速水御舟らも「赤曜会」という秘密結社めいた芸術サロンをつくったりしていました。
銀座といえば文豪BAR「ルパン」に坂口安吾や太宰治が足繁く通ったのも有名な話。
もっと昔で言うと江戸時代の木村蒹葭堂や、室町時代の足利義政のサロンもありますね。
あちらは上方で、銀座ではありませんが。
まぁつまりそういう文化人伝統の「サロンごっこ」をやりたかったわけであります。
そしてこの「銀座水曜会」をベースとして生まれたのがインターネット番組「山田玲司のヤングサンデー 」(ヤンサン)でした。
ヤンサンが始まってから、水曜会は不定期になっていきました。
というのもヤンサン自体が「様々な人を呼んで話して人生を豊かにする」という水曜会的な活動でもあり、徐々に水曜会は実際のサロンというよりは概念として、ヤンサンに溶けていきました。
そこに追い討ちをかけるようにやってきたコロナ禍では、もはや集まること自体ができず、さらにはコロナ不況でいつも集まっていた銀座のファミレスも潰れてしまい、あの水曜会も完全に想い出の中に編み込まれてしまった2022年…。
想えば銀座で集まり始めてから10年が経っていました。
そんな時、ヤンサンを見てくれていた井川啓央さんと縁ができました。
井川さんは言いました。
「よかったらうちのカフェで何かいっしょにやれないかな?」
「カフェですか?どこにあるんですか?」
「最近、銀座に移って来たんだよ」
…もういちど、銀座に呼ばれたような気がしました。
でも、頭に去来したのは10年前とはまた違う想いでした。
それは我々が10年前に求めた豊かな他者との出会いを、今の若い人たち、かつての俺たちのような奴らにも用意してあげたいという想い。
かつて我々はそれぞれがそれぞれの現場で闘いつつ、しばしその戦場から離れ、互いの傷や悩みや戦歴を語り合い、次の何かにつなげる場が欲しかった。
そんな場所が、そんなサロンが、あったらいいな。
ないのなら、創ればいい。
そうして集まったのが「銀座水曜会」でした。
それは自分たちが「人生」を長く闘い続けていくためのサロン。
山田玲司の言葉を借りれば「和を持って属さず」を形にしたような流動的な輪。
あれから10年経ちました。
今度はまだ出会っていない、かつての俺たちみたいな、あなたのために創ります。
それが「文化をつなげる」ということでもあると信じて。
かくして今ここに、よりオープンな「銀座水曜会」を「銀座日曜会」として、再び立ち上げることになった次第であります。

「然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。」坂口安吾『不良少年とキリスト』より

長期戦を強いられるこの人生におけるサードプレイスとしての感性の補給基地、魂の避難場所をもういちど、銀座で。

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